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やおいやBLって、「恋愛至上主義」の考えの最たるものの様な気がする。
「男同士の同志的関係を全て恋愛関係と捉える」のだから。
しかし、何故全てを性欲に結び付けなければいけないのか、と常々疑問に思っている。
少年漫画における、「友情関係・同士関係」としての「燃え」の部分を全て、「同性愛的恋愛関係」としての「萌え」にしてしまうのは何故なんだろう?別にさ、SEXなんかしなくてもいいんじゃないか?恋愛である必要も無いのではないか?むしろ「恋」だの「性欲」だのというフィルターをかけてしまう事で、見えていたものが見えなくなってしまう事も多いのではないか?
そもそも、「恋愛」よりも更に達観した局地にある「愛」というのは、「人類愛」=「同胞愛・同士愛」である、といわれているのに、わざわざ「恋愛」にする意図が掴めない。
けど、確かに「同朋愛・同士愛」と「同性愛」の違いって、判り難い。
義兄弟の契り的な「同朋愛・同士愛」と、恋愛関係の「同性愛」。
SEXがあるか無いかの差?でも性的嗜好の中には「セックスレス」、「性的欲情の欠如」というのもあるんだから、欲情するか否か云々、だけで両者を判断する事は出来ない。欲情しなくても、相手と寝たいと思わなくても、相手に惚れている、という事もある。
ならばなんだろう?キャラに対する自己投影の結果?恋愛至上主義的考えの結果?
…混乱して思考停止。
ま、まぁ別にどっちでもいいかっ。「燃え」も「萌え」も大事だよねっ。
銀土銀と近土でも色々と考えてみたけど、結局私は、
銀土銀は「同性愛」的な感じで書いていて、
近土は「同朋愛・同士愛」として書いている。様な!!どっちの関係も、愛だ恋だ惚れた腫れただの言い合う関係ではないが、根底はこんな感じ。
もっと細かく言えば、むしろ恋愛として考えちゃえば、
銀土銀=「ルーダス」的愛(遊戯的な愛)or「エロス」的愛(情熱的な愛)
近土=「ストロゲー」的愛(友愛的な愛)or「アガペー」的愛(博愛主義に根ざす利他的な愛)かな。(参照:「
6種類に分類される恋愛の形態と実質:エロスとアガペーの狭間で揺れる情愛と感情」)
銀土銀は互いを「奪い合う様な愛」で、近土は互いに「与え合う様な愛」みたいな?この2つは全てが対比した恋愛観、みたいな?(なんかなんか愛という漢字を打つだけでも照れてきてるんですがなんか。我ながら夢見すぎだぜコンチクショー。)
だからかな、銀土銀でエロスはオッケェエエ!って感じなのだが、近土でエロスとなると、めっさ戸惑う。これでもかと戸惑う。かといって、どちらが優れている、どちらが劣っている、とかではなく、愛の形が多少異なるだけ。だから、どっちがより好きだとか比べられないっ。
つか、やっぱ「恋愛」で語りたくは無いな…何かね…。
丸くは収ま……ってはいないけど、愛に関する語りは以上。
…総悟って、恋愛したら、「マニア」的愛(狂信的な愛)になりそうだよね…(ボソ)。