ちょい前のT○Sの会津鶴ヶ城に関する放送について。
「福島県会津若松市の鶴ケ城が戊辰戦争時に落城した原因を「城が不衛生だったから」とした」
また T ○ S か。
糞尿問題もそりゃ関係しただろうが、それだけを報道するとは…。
歴史は視点が変われば如何様にも変えられてしまうものだけど、史実や事実を変に面白おかしく報道はして欲しくないです。そら薩長が勝った世の中だし、会津は賊軍扱いだったろうけど。これは酷いわ。
…新撰組や白虎隊は変な位にもてはやされてますが。ほんと、変な位にね。美化されすぎな気がしないでもない。大好きな自分が言う言葉じゃないんだろうけど。けど、好きだからこそ、冷静に見ていきたいと思ってる。あぁ、でも大好きだ。
…しっかし何故こんな放送になったんかなぁ。
関連記事を追記に。
【関連記事】
livedoor ニュース -
(http://news.livedoor.com/article/detail/3581342/)
会津を知らぬ侮辱である
TBSクイズ番組
TBSのホームページより引用【PJ 2008年04月03日】−
先日TBSのクイズ番組の「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発」で会津(鶴ヶ城)城を明け渡した理由の出題で正解が、「糞尿(ふんにょう)が城にたまり、その不衛生さから」が正解となり案の定会津若松市役所から抗議文が送られ、TBSが謝罪する騒ぎとなってしまった。
会津は明治維新後、政府に最も厳しい扱いを受け、そのことが現在も尾を引いているのだ。
それが会津の人にとってはいまだに長州に対するしこりとして残っている。
昨年4月安部首相(当時)が「わたしは山口県の出身。先輩がご迷惑をお掛けしたことをおわびしなければいけない」と選挙の遊説で発言したが地元の人は「選挙のついでなので軽すぎる」という反応だった。
戊辰(ぼしん)戦争の会津戦争は教科書でまともに教えていないし、しかも会津は賊軍という記述なのだ。
会津籠城の悲劇とは
1868年、徳川慶喜が朝廷に大政奉還を行うが、政治に実権はまだ幕府にあり薩摩藩、長州藩(以下薩長)と公家は倒幕を狙っていた。
そして京都で鳥羽、伏見の戦いが起こるが、京都で公家を何人も斬った薩長が天皇側を表す錦の御旗を持っていた。
このため、幕府と京都守護職だった会津藩士は賊軍にされたうえ、慶喜と会津藩主・松平容保ら幹部は大坂から船で敵前逃亡してしまった。
そして政府軍は江戸に攻め込むが、将軍不在の江戸城を預かっていた勝海州が薩摩の西郷隆盛との話し合いで、慶喜の身の安全を条件に江戸城は無血開城にこぎつけた。
が、政府軍は生贄(いけにえ)を求め会津に攻めてきたのである。
会津戦争勃発
会津は当初、鳥羽伏見の戦いに破れてから、京都守護職だった松平容保に追討令が出ており、東北諸国は列藩同盟を編成した。
だが、薩長の切り崩し工作でほとんど戦いには参加しなかった。
クイズでは降伏したのは旧幕府軍ということになっているが、ほとんどが会津藩士が戦った。
8月に政府軍が会津にちかづいたことにより、会津は大混乱に陥り、多くの者が鶴ヶ城に籠城した。
また、洋式の訓練を受けた藩士が部隊を編成し遊撃戦を展開した。
籠城軍は山川大蔵(後の陸軍大将・山川浩)の指揮のもと籠城戦を展開し、女性までもが戦った。
炊き出しや負傷者の介護は当然ながら大砲を撃ったり、果ては敵陣斬り込みまで行った。
「焼き玉押さえ」という着弾した砲弾を濡れ布団で抑え不発させる作業も行ったが、大蔵の妻がその作業に失敗し爆死している。
そのさなか、城の火災を落城と間違えた白虎士中二番隊の少年が飯盛山で自刃という悲劇まで起こった。
そのころ敵の薩長は、略奪部隊を編成し分捕りに明け暮れ、後に江戸で「泥棒市」を開き巨利を得たと言われている。
城内は食糧の備蓄をしておかなかったこともあり、乏しい物資の中、傷病者があふれ、死者は井戸に投げ込むというありさまだった。
難攻不落といわれた鶴ヶ城も砲弾で穴だらけとなり9月松平容保は降伏を決意する。
街は焦土と化しもう弾薬、食料、医薬品も無くなったからである。糞尿は状況にすぎない。
悲惨なその後
藩士の多くは斗南藩に移住させられた。
現在の青森県の下北半島のあたりで不毛の地だった。
ここの開拓は困難を極め、餓死者まで出している。
私の先祖もその後、仙台へ移ったが無一文になったうえ、抱えていた家来の生活を守らなくてはならないのでかなり苦しい生活を強いられたと聞いている。
会津の街は新政府が会津の戦死者の遺体の埋葬を賊軍という理由で許さなかったため、街は腐乱死体だらけとなってしまったが、半年後疫病が流行るおそれからやっと埋葬されることになったがゴミ同様の扱いだった。
そのころから会津の人は長州に恨みを持つようになったとされており、今に至っている。
こういった深い遺恨と歴史を調べる余裕がなかったのか、番組制作会社が少ない予算と時間で調べられなかったのだろう。
明治維新の歴史は天下をとった長州の都合のいいように書かれているとされる人がいる。
維新後に会津から海外留学を果たした山川健次郎(後の東大総長)、妹の大山(山川)捨松が留学するまでは海外留学は薩長の子弟のみという不文律まであったという。
会津の神経を逆撫(さかな)でするような出題にTBSはどこまで反省したのだろうか?
【関連記事】
livedoor ニュース -
(http://news.livedoor.com/article/detail/3586208/)
なぜ番組中に謝罪しない?
TBSの「会津侮辱問題」
「会津侮辱放送」を行った番組のホームページより引用
【PJ 2008年04月07日】−
先日、PJの鈴木さんも取り上げていたTBSの会津侮辱問題で、被害者の福島県会津若松市の菅家一郎市長が6日、TBSが明日8日に謝罪放送をすると、自らのブログで明らかにした。
同市長のブログによると、会津若松市と観光公社、観光物産協会の連名で抗議した問題の放送番組に対し「本市市民への謝罪と釈明について誠意ある回答並びにしかるべき時間帯での当番組に対する訂正と謝罪の放送を求める」たことに対し、TBSは謝罪放送を「4月8日(火)午後0:53分前後に放送する」との回答があった。
わが輩はTBSのホームページでこの事実を確認したのだが、謝罪放送予定は確認できなかった。
自らの過ちを即座に明示的に情報公開しない隠蔽体質もさることながら、謝罪放送の時間割からはTBSの傲慢(ごうまん)さと不誠実さが浮き彫りになった。
この問題番組の放送時間は土曜午後7時からである。
謝罪をするならば番組中にするのが本筋だろう。問題番組とまったく違う時間に謝罪しても、問題番組の視聴者のどのくらいが見ているというのだろうか。問題番組の視聴者にはこの謝罪が正確に伝わるかどうか疑わしい。
TBSにせよ、フジテレビにせよ、どうやら謝罪の仕方が分からないらしい。
これらマスコミは一般企業が事件を起こせば即刻謝罪会見を開かせて執拗(しつよう)に責任を追及する。
だが、自らの不祥事となると、いきなりほおかむりを決め込む。
これでは公共放送としての信を得られようはずもない。
行き過ぎた商業主義に加え、取材先を侮辱し、視聴者を欺くような放送局など存在意義が無いも同然。
害悪番組を垂れ流すTBSやフジテレビの幹部は、一般企業の謝罪会見のビデオでも見て、謝り方を学ぶべきだ。
【関連記事】
IZA -
(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/136113/)
会津若松市長「一定程度の誠意」
TBS「ふん尿落城」問題
TBS系のクイズ番組で福島県会津若松市の鶴ケ城が戊辰(ぼしん)戦争時に落城した原因を「城が不衛生だった」としたことにTBSが8日の放送で謝罪したことを受け、菅家一郎会津若松市長は同日午後、記者会見し「一定程度の誠意を感じた」と述べた。
市長は「放送自体が間違いだったと訂正してほしかった」としつつも、「会津武士道に殉じた先人の名誉の回復が図られ、会津人の心情に配慮されたものと認識した」と評価した。
一方で、市長は「バラエティーであるから、面白ければ何でも許されるという考えは、史実や関係者を軽視した姿勢」と指摘。
「二度と繰り返されることのないように猛省と再発防止を求める」と強調した。
市長などによると、TBSへの抗議以降、同市などには電話やメールなど100件を超える支持の声があったという。
【関連記事】
IZA -
(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/134274/)
「ふん尿で落城」TBSが会津若松市に謝罪
TBSは2月16日放送の「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発!」で、福島県会津若松市の鶴ケ城が戊辰戦争時に落城した原因を「城が不衛生だったから」としたことについて、菅家一郎市長らに謝罪した。
同市から訂正と謝罪を求める抗議文を送られており、プロデューサーが情報制作局長名の回答文を市などに持参。
城明け渡しの原因として物資が枯渇していた事実は文献などで認識していたが、「バラエティークイズ番組ということもあり、専門家と相談してふん尿が城内にたまっていたことを正解とした」と説明。
市側は態度を保留した。